むかしもいまも、せつない恋の悩みは同じでした。
王朝の時代といっても、たかだか700年から800年ほど前のことであり、そこに生きていた人々の思いや暮らしぶりは、本質的にはいまと変わりはなかったものなのでしょう。
恋するままに生きた和泉式部。彼女の詠んだ恋の歌は現代でも立派に通じるのです。
寵愛を受けていた為尊親王を亡くしてのち、その弟である敦道親王と恋に落ち、歌に托して交わした情愛はいまでも十分に共鳴できるものがあります。
夜毎の逢引き。人の目を避けて密かに車で通ってくる宮。車というのはおそらく牛車でしょうか。なんとなくいまどきの男の子がかっこつけて車で乗り付けるのに似ていなくもありません。
彼女のこんな生き方は当時の人にもそれなりに良くは思われておらず、友だちの紫式部でさえも「けしからぬかた」と非難したほどでした。清少納言なら枕草子の中できっと、「わろきもの。和泉式部。」などと書いたところでしょうか。
けれども歌人としての才に長けていた彼女は優れた歌を多く詠み、「後拾遺和歌集」には六十七首も選ばれていました。
かぎるらむ命いつともしらずかし
哀れいつまで君をしのばむ
身の憂きも人のつらきも知りぬるを
こはたが誰を恋ふるなるらむ
世の中に恋という色はなけれども
深く身に泌むものにぞありける
黒髪の乱れもしらずうち伏せば
まづ掻きやりし人ぞ恋しき
最後の歌なんて、思わずわたしも好きな人を思い浮かべてしまいます。やっぱりむかしだって女性はやさしくされるのが一番だったのですね。女性が髪をさわらせるのは、ほんとに特別な人だけです。
ところで、この「和泉式部日記」、従来は和泉式部本人の筆であるとされていましたが、どうやら他人の創作だったようです。
文字博士の川瀬一馬氏によると、この日記の作者は藤原俊成なのだそうです。まだ定説にはなっていませんが。