さすがジョン・ウー監督、最初っからものすごいアクションシーン。いきなりクライマックスか?と思わせるようなカーチェイス…といっても追う相手はジェット機なんだけど。派手な爆破シーンや2挺拳銃でばんばん撃ちまくる銃撃シーンなどなど、オープニングから力はいってます、目が離せません。
意外だったのはニコラス・ケイジの悪役ぶり。この人、ちょっと弱気になったときに見せる母性本能くすぐりまくりの顔とうって変わって、極悪非情に徹したときの表情なんておどろくほど冷酷ではっとさせられる。コン・エアーのときともちょっとちがうんだな。やっぱり役者だなあと改めて感心。
対するトラヴォルタ、すっかり中年太りしてしまって貫禄充分。スーツ姿がかっこいい。FBIの捜査官なのだけど、自分の目の前でかわいい息子を殺されてしまったため、どこか翳りがあるの。奥さんともあんまりうまくいってないみたいだし、娘は荒れてるし、家庭崩壊寸前。ああ、こういうシブイ役もできるんだぁ、とこちらも改めて感心。
でね、このふたりが手術で顔だけを入れ替えたのには理由があるのだけど、思わぬ展開から立場まで逆転してしまって、対決していくというストーリーなんですが、顔だけ入れ替えるって発想がすごいよね。縁日のお面じゃないんだからって思ったけど、いまの外科技術があればなんかできないこともないような気がしてくる。
ちなみにタイトルのFace Offっていうのは二つ意味があるんだって。残念ながら受験用の英和辞書には載っていなかった。ひとつは文字通り「顔を剥ぐ」、もうひとつは「対決」。勉強になりますね。
こういう映画って、人格が反対になるわけだから、演じる役者さんにとっては相当むずかしいと思う。見ている人に、いかに中身がもうひとりの人格なのかをわからせないといけないでしょう。ニコラス・ケイジはやっぱり悪役より善人を演じたほうがすてきだけど。でもふたりともとってもじょうずに演じきっています。
それにしても、どんなに顔が同じでも、からだが全部同じっていうわけじゃないんだから、奥さんくらいすぐに気づきそうなものなのに… たとえば、人の体臭はみんな微妙にちがうじゃない。ちょっとしたしぐさとか、無意識に出てしまうクセってものは案外すぐにおかしいと気づくものだけど。それに…ベッドの中だってちがうでしょ?(ぽっゥ) ま、そこまで問いつめたら映画にならないから、ここは素直に楽しみましょう。だけどあの奥さん(ジョアン・アレン)、切り替え早かったぁ。奥さんにしてみれば息子を殺した憎い相手に抱かれてしまったわけだから… わたしだったら、気が変になりそう。
ラストにかけても強力なアクションシーンの連続。あのスピード感と迫力っていうのは、ハリウッド映画ならでは。資金力と物量作戦と優秀なスタッフ、そしてやっぱり監督の才能でしょうね。「ブロークン・アロー」も見てみたいな。
エンディングはやっぱりほろっときちゃいました。単純なヒューマニズムなんだけど、でもやっぱりいくらかでもこういう救いがあるのはうれしいです。
オープニングも男の子、エンディングも男の子。これってぜったい(いい意味で)意図的ですね。しかもトラヴォルタの死んでしまった子のなまえが天使を意味するMichael(映画中でもさりげなく天使であることを暗示)で、ラストの男の子のなまえがAdam(悪の道に進まないように育ててほしい、と託されるのだけど、これまた聖書的でしょう?創世記を思い出しませんか?)。アメリカの映画にはわりとこういうヒントが隠されていることが多い。キリスト教の素地がないとわからないようなトリックとか。逆にいえば、そこまで細かく練られてるということなんだけど。
August 30, 1999
ひょうひょうとした作風で日本の随筆文学に新境地を確立した小説家・内田百閧ニ、彼を慕う教え子たちとの胸暖まる交流を描いた作品(なんて書くと紋切り型の解説文になってしまうけど)。
監督はご存じ黒澤明監督。
戦前から戦争中、それから戦後を通して、内田百閧フ個性的な生きざまと、彼を取り囲む人々のやさしいエピソードが織りなされていて、思わず目頭が熱くなったりします。特に、還暦を迎えたことをきっかけにして始まった百關謳カを囲む会「摩阿陀会(まあだかい)」で、かつての教え子たちが大勢集まって大騒ぎするシーンなんて見ていると、男の人っていくつになっても少年のままなんだと思い、うらやましかったです。特にこのシーンは監督お得意のマルチカメラで撮っています。何十人もいる俳優さんたちひとりひとりが、いっせいに自分の役になりきって演技しなければならず、どのカメラから撮られているかわからないという緊張感は相当なものだったろうと思うのですが、見ているほうも迫真のシーンに思わず引き込まれてしまいます。(これで有名なのが「七人の侍」での、土砂降りの雨の中の戦闘シーンですとか、「天国と地獄」の列車内のシーンですね)
監督の晩年の作品をあまりよく言わない人もいるけど、わたしはそうは思わない。たとえば「八月の狂詩曲」などは、わたしは涙を流しながら見てましたし… 確かに若いころの作品に見られたようなぎらぎらしたところはないけれど、それがないからマイナスだとは思えません。おじいさんになってから見えてきたものってきっとあるはすだから。
ラストシーンなんてまるで監督自らの思いをイメージしているようで、やっぱりこれって老人特有の感性なのでしょうか。きっと監督も先が短いことを予感してたのかしら。どこか自分自身を投影してたのかなとも思いました。
最後にこの映画に出られたみなさん、お幸せでしたね。September 23, 1999
原作:下田治美
監督:平山秀幸
幼児のころから実の母親に虐待されながら育ったひとりの女性が、自分も娘を持つ身になったいま、やさしかった父親の遺骨を求める姿を通しながら、親子の愛、家族の絆ってなんだろうと、深く考えさせられる内容です。
暴力的なかつての母親と、対照的に静かな母親になった娘を演じ分けた原田美枝子さん。昭和30年代、なんでもないことで逆上して娘に手をあげる母親、そして泣きながら謝り続ける少女。見ているだけで哀しくなります。愛し方を知らないこの母親がいちばん愛に飢えていたのです。殴られる娘はたまったものじゃないけれど、それでも娘である以上、心のどこかで母親を慕う気持ちを持っていました。たった一度だけ褒められたときに見せた笑顔がせつなかったです。
最後に母親に決別したとき、こんどは二度と振り向きませんでした。だけどそのあと止まらなかった涙は、いままで憎み続けてきた母親をようやく許すことができたからだったのでしょうか。父の遺骨を求める旅を続けながら、同時に恐怖の対象であった母親の人生と無意識のうちに向き合おうとしていたヒロイン。あのときの母親の気持ちを、旅を続けるうちに理解できた…そんな単純なものではないでしょうね。それほど簡単にわりきれるほど、彼女は平凡な幼少期を送ってきたわけじゃありません。こればかりはもう、わたしなんかには想像もつかないです。
なんか、うまく感想いえません。
ただ、見ていて涙が止まりませんでした。October 3, 1999
今年、全米をわかせた続編(オースティン・パワーズ・デラックス)のもとになった第1回目作品です。
スターウォーズを抜いて大ヒットしたということで、もとはどういう映画か知りたくて、前から見たかった映画をWowowで放送してくれました。
予告編を見た限りでもオマヌケ映画って感じはしていたけど、まさかこれほどとは… 最初から最後まで力が抜けるギャグ満載です。
Love&Peaceの1960年代に活躍していたスパイが、30年後にふたたび現れて、しっちゃかめっちゃかの大騒動をひきおこすっていうお話。全編にわたって1960年代のテイストでいっぱい。細かいギャグもあちこちにちりばめられていて、これなら続編もみたくなる気持ちがわかります。わたしも最新作を見た〜い!October 8, 1999
前作「エイリアン3」で溶鉱炉に投身して、寄生していた幼生エイリアンもろとも死んだハズのリプリーが、あろうことかクローン技術によって甦ってしまいました。
それはいいのだけど、リプリーの体内に寄生していた幼生エイリアンも、なんらかのクローン技術で再生したというわけ? ということは、幼生エイリアンのクローンをこしらえてから、それをわざわざまたリプリー・クローンの体内に移植手術までしたほど、それほどまでに軍需産業にとってはエイリアンっていうのは魅力的なのかなぁと、この映画を見てても感じました。高度な惑星開発を成し遂げるまでに宇宙進出している人類にとって、軍需産業っていったいなんなのだろうという思いも持ちました。
クローンとして甦ったリプリーは、どういう手違いか、というより人間のような高度な生物に対するクローン技術はこの未来においても研究段階だったのかどうか知らないけれど、エイリアンの遺伝子が混じってしまったらしく、ちょっと超人状態になってしまいました。血液がエイリアンと同様に強酸性に変化してしまったのです。ということは、リプリー・クローンって酸性体質? 体液が強酸性っていうことは、キスでもしようものなら相手の舌が溶けてしまうのかなあ。そういえば、エイリアンもしょっちゅう牛のように唾液?をだらだら垂らしているけど、あの唾液もきっと強酸性なのでしょうね。
さてさて、本作ではウィノナ・ライダーが共演してます。この人は、ピンで立つと意志が強そうなイメージがあるのだけど、さすがにシガニー・ウィーヴァーと並ぶとまだまだかないません。シガニー・ウィーヴァーが強すぎるといったらいいでしょうか。第1作から、常にエイリアンと戦ってきて、3作目からはとうとうエイリアンのお母さんにまでなってしまうリプリーに比べたら、小柄なウィノナ・ライダーはちょっと太刀打ちできません。シガニー・ウィーヴァーってあんなに背の高い人だったかしら。でも、本作ではウィノナ・ライダーがちょっぴりかわいく、いじらしく見えた。彼女にも秘密があるのだけど、ここでは教えません。
第1作目では宇宙船のコンピューターはマザーと呼ばれていたけど、本作ではファーザーと呼ばれていました。母が父に変わっただけじゃないか、と思われるかもしれないけど、キリスト教圏においてファーザーといえば(定冠詞Theがつくと)神さまのこと。全知全能の神さまです。あと、この映画のタイトルにもある「Resurrection」は復活という意味。これもTheがつくと、キリストの復活を意味します。まあ、関係ないのかもしれないけど、ところどころに宗教的な謎かけを秘めた映画だなと思いました。
この映画のラストは悲しかった。人でもない、エイリアンでもない、ある意味人間による実験の産物としてこの世に生まれてきたエイリアンベイビー。きっと彼?は赤ちゃんや幼児が母親を後追いして泣くように、リプリーのあとを追いかけてあの船内まで入り込んだのかもしれません。エイリアンなのに愛情を持っているのは、人間の遺伝子が混じってしまったからなのでしょう。それを結局殺さなければならなかったリプリーの悲しみ。いままでで一番かわいそうな運命を背負ったエイリアンでした。October 26, 1999
原作:浅田次郎
監督:森崎東
日本に来ている外国人労働者が抱える基本的な問題を主軸にした、美しくもせつなく哀しい恋愛映画。
「Love Letter」というタイトルで中山美穂さんが主演の映画がありますが(こちらも、なかなか良い映画らしいです)、それとは別です。
最新作「梟の城」に出演している中井貴一さんが新宿の裏社会に生きる男を演じてます。とはいうものの、高級幹部にはほど遠い生き方をしているわけで、報酬の多さと、組への義理を立てる意味もあってか、勧められるままに中国女性との偽装結婚をすることになります。その女性役を演じたのが耿忠さんという人。
オーバーステイをしていて強制送還されそうな女性が助かる道が、この偽装結婚。話には聞いたことがあるけれど、そういう裏システムの一端が垣間見えました。
中国から日本に働きに来る女性が全員悪いわけじゃないけど、偽装結婚までして日本にいるわけだから、当然彼女たちの背後には暴力団が見え隠れします。借金に縛られ、けっきょくはホステスから風俗へと強制的に連れて行かれてしまいます。不規則な生活と過酷な仕事の毎日を繰り返すうち、ろくなものを食べていない彼女は重い病気にかかってしまう。満足な治療など受けられるはずもありません。
もともと彼は単に戸籍を貸しただけだという意識があるから、とくに愛情を感じてたわけじゃあない。けれど、彼女のほうはまんざら彼のことを悪く思っていなかったみたい。
そんな彼女が最後に一通の手紙を残しました。
このあとのくだりは、ひとりで見たほうがいいと思います。弱みを見せたくない人がいるときに、うっかりいっしょに見ないほうがいいと思います。だって、泣くから。大の男の人がみんな泣くから。涙をぼろぼろ流しながら泣くので、こっちがかえってびっくりしてしまいます。ほかの映画を見てもそんなに泣く人じゃなくても、なぜだかこの映画を見ると泣いてしまうようです。男の人の胸につまされるなにかがあるとしか思えません。
この手紙の内容が、またいいんですよ。純粋でまっすぐで。こんなこといわれたら、確かにじーんとくるでしょうね。わたしにはこんなすてきなラブレターは到底書けそうもありません。October 29, 1999
監督:ポール・ヴァーホーヴェン
原作:ロバート・A・ハインライン 「宇宙の戦士」
見たかったんです、この映画!
やっとWowowで放送してくれましたっ! 待ち遠しかったよぉ〜。
公開当時、この映画のことをB級映画とこきおろしたある著名な映画評論家がいて、そうなのかなあって思ったのだけど実際に見てみなくちゃなんともいえないから黙ってました。でも、今夜ようやく見ることができて、わたしなりの感想をいえるようになりました。
冒頭はなんとなく80年代の青春映画みたいな感じ? この映画の背景にある年代はいつなのかはっきりしないのだけど、宇宙船とか出てくるから、おそらく21世紀以降でしょう。民主主義社会が崩壊して、社会の基盤は軍国主義みたいな(といっても宇宙規模なのだけど)世界なんです。軍国主義っていうと、日本人はすぐ太平洋戦争のころを思い出してしまうけど、この映画に限っていえば、敵はわけわかんない巨大な虫ですから、平和主義の人にとってもあまり反対する意味はないような気がしますね。
中盤以降、巨大な虫がうじゃうじゃ出てきて、鋭い脚などを振り回して人間たちを串刺しにします。腕とか脚とか一薙で切断されてしまいます。対する人間の武器は、昔ながらの銃。もっとレーザー兵器とか使えばいいのにと思うのだけど、あいかわらず20世紀と変わらず、機関銃みたいなやつで撃ち殺すだけです。それでもだめだと思えば、最後は戦術核を打ち込むだけで。
巨大な昆虫タイプのエイリアンたちは、どうして地球に攻撃したのかわかりません。彼らの住む星と地球は、銀河系の端から端にあるすごく遠い星なのに、なんで戦争になったのかよくわからなかった。人間だってあんな変な虫ばかりいる星は欲しくないけど、先に攻撃しかけてきたのが虫だから、応戦しなくてはならなくなってしまったわけです。やられたらやりかえす、っていうのは「ランボー(原題:First Blood)」にも通じるテーマでしたね。
あ、そうだ、この映画の冒頭で、女の子が巨大な宇宙船を操縦するシーンがあるの。10万トンクラスの巨大な宇宙船(10トントラックなら運転できるけど、10万トンじゃな〜)。ぶつかりそうで、周りの人がハラハラするのだけど、彼女の操船技術はまあまあだということがわかるのです。いつか、わたしも、あんな大きな宇宙船を運転してみたいです! 教習所とかあるのかなーって思いました。10万トンクラスの宇宙船をわずか5メートルの距離を保って操船するんだから、単純にすごいって思いました。わたしも将来一等(宇宙)航海士になれたらいいな。リプリーみたいに。わたしのこの人生では無理そうだから(宇宙船がまだ一般的じゃないものね、あと200年かかるかなあ)、次の人生、そのまた次の人生で宇宙に飛び立てたらいいなと思ってます。木星をこの目で見てみたいです。
ところでこの映画に出てくるバグたち、すごく巨大なのだけど、外骨格の昆虫がなぜ地球上で小さいままかというと、重力の問題なのです。外骨格のまま巨大化すると、装甲がものすごく厚くなり、自重でつぶれてしまうそうです。だから地球上には人間より大きな巨大な昆虫がいないわけです。だけどこの映画に出てくる惑星は、酸素OK,有毒な気体ゼロ、重力地球並み、気温問題なし、あとは虫がいるだけっていう星ですから、虫さえいなければ植民地にしてもいいくらいの星なのですが、なぜ昆虫タイプのエイリアンが潰れてしまわず、巨大化できたのか不明。
やっぱり白人って植民地に憧れているのかなって思いました。
映画は、おもしろかったです。わたし虫嫌いなんだけど…
人間には2種類あるんだそうですね。@へびが嫌いAクモが嫌い
さて、あなたはどちらでしょうか? わたしは、どっちかというと、ヘビが嫌いかなぁ。というか、どっちもあんまり嫌いじゃないです。ヘビもクモもわりと平気ですね。
この映画のような大きな虫はイヤだけど、地球にいる虫はまあ平気です(脚が6本を越えている生物はいやだけど、でもエビなんかはおいしいーって思うからあまりあてになりませんね)。
Novenber 6, 1999
監督:古厩智之
なんとも個性的な女優、清水優雅子さんの演技に目が離せません。
この映画って現代の日本を描いているはずなのに、どこかノスタルジック。まるで1970年代を思わせるような作品です。新しいはずなのに、どこか古くて懐かしい。そんな映画です。
舞台となっているのは山梨県のとある町。ブドウで有名な山梨県だから、もちろんブドウ畑のシーンとかも出てくる。ブドウは畑とはいわないのかしら。木になるからブドウ林かな。
ちょっとしたことから、ヒロインの陽子が同級生のタローくんの家の隣に来ることになった。ふたりはお隣同士になったわけ。陽子はいつも、開け放した2階の窓からやって来る。初めはただの同級生だったのだが、しだいにふたりは、気になる存在に変わっていく。その気持ちを相手にどうやってぶつけたらいいのか戸惑いながら、高3最後の夏休みは過ぎていく。友人たちの恋愛が複雑に交差しながら。
ラストも陽子らしいというか、一陣の風が通りすぎていくような感じ。
July 11, 2000